再建

 社屋に140万円の保険をかけてあり、東京海上と早期に支払いを受け取る方法を相談し、95万円に減額して、役所に掛け合い3ヶ月で受け取った。当時の社長は野崎龍七で社員は120から130人いた。保険金で銀行の借金を返し、いったん社を解散し、退職金を規定の数倍支払った。しかし、辞めるものは一人もなく、全員が踏みとどまって社業復旧に邁進した。

 当面ダイヤモンド誌の復刊は無理としても、印刷工場の修復に全力を傾けることにした。印刷機の修復を進めている間も米機の空襲は続いた。

 そして昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、長い戦争が終わった。その後、ダイヤモンド復刊第一号は、11月に共紙の表紙で16ページ、中綴じという薄っぺらなものであった。

 編集部員8名からの復刊だったが、その後、社員の復帰が続いた。用紙難と諸物価の 高騰に翻弄されることになる。