目次


戦争報道 メディアの大罪

ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか


[目次] [著者紹介]


表紙




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序文——デービッド・バインダー

はじめに

プロローグ 東スラボニア、ブコバル——一九九八年七月


1章 ユーゴスラビアと「明晰な知性の絶望」


東スラボニア(クロアチア)、ボロボ・セロ—— 一九九一年五月
ボイボディナ(セルビア)、トリネにて—— 一九八八年一〇月七日
クロアチア東部ビンコブツィにて—— 九一年六月
ドイツ、グナーデンタールにて—— 九四年一月
ワシントンDC —— 九七年二月一一日


2章 偏向から爆弾、そして遺体袋へ


NATO空爆の引き金を引いたのは誰か
「情報操作に対する告発の動き」
ジャーナリストを脱徒党化する
戦争報道の悲劇的な足跡


3章 「動物園を見れば、その国のことがわかる」


礼儀正しい言葉と集団埋葬地の発掘
ドイツが「究極の」競争をもたらした
ストルガ—— 記憶の“捏造”
「神話、ユートピア、幻想」


4章 帰ってきたポール・リビア


闇討ちの場に招かれて
メディアの隠れた病弊
数字が語る真実
握手はなかった


5章 「被害者はムスリム人のみ、加害者はセルビア人のみ」


レイプに関する感情的報道
ボスニアの収容所群と囮報道
レイプによる子どもの誕生——それも三ヶ月で?
未回答の問題が多すぎる


6章 遺体はどこにあるのか


数字の操作
化学兵器の使用
メディア内の亀裂
大量虐殺と「ずさんな報道」


7章 「偏向記事」とピュリッツァー賞の共同受賞


ビルプロットでの会見
ピュリッツァー賞への方程式
フェアプレーとニュルンベルク恐怖症
二〇件の証言は「死の収容所を構成せず」
「2—IC」は誰だったのか
ガットマンの“手法”と“例外”
議会—— 昼食休憩中
五つの名を持つ宣伝屋
ツィゲリ、国際戦犯法廷の証人として却下される
ピュリッツァー賞獲得競争
一人の証人がどこまで有効か
この旅は必要だった
古い質問、新しい質問、回答なし


8章 PR会社ルーダー・フィンの顧客


悲劇のタイミング
「信憑性……は我々の仕事じゃない」
五面戦争の三面PR作戦
ユダヤ人を騙す
サラエボの大虐殺
“K”ストリートの司令本部
国の宝か、はたまた狂信的情報操作者か
「人々はそうあるべきであるほどに落ち込んでいない」


9章 神の孤独な騎士


「南スラブ問題」への取り組み
ドイツ=バチカン・コネクション
平和、和解、そして煽動
「ドイツよ、ありがとう……ゲンシャーさん、ありがとう」
ハプスブルクの記憶と来るべき事態
憂鬱なる考察
教皇の口づけ、あるいは抱擁?
ノスタルジー、殉教、そしてリア王
四月の幻滅


10章 「殴打、告白、ピュリッツァー賞」


「ユーゴスラビアの苦悩は繰り返す」
報道の客観性という第一戒を破る
インタビュアーは服装でわかる


11章 ジャーナリズムの最高の時? とんでもない


検閲する価値のあるニュース?
ナショナル・パブリック・ラジオ—— またの名を「ラジオ・フリー・サラエボ」
「いかがわしい策略」と危険な反乱分子
「ニュースは嫌いだ。ニュースは悪だ」


12章 ハーグ—— オーウェル的正義の実験


セルビア人のほうが「より罪が重い」
ハーグの“実験”
国連安保理の“二重基準”
「選択的」で「象徴的」な戦犯起訴
「セルビアに正義を……常套句から常套句へ」
スレブレニツァ—— メディアの予言は成就される
「十分な」証拠を発掘する


13章 「すばらしき」ジャーナリズムの世界へようこそ


「庭師ならみんな知っている」
「カフカ的人物」
沈黙の声


14章 「すべては油によってなだめられる」


セルビアの先例—— いったい何の先例なのか
セルビアはいつも“戦利品”だった


エピローグ—— 戦争「文学」


メリーランド州ボウイ—— 一九九二年
ケベック州オタワ—— 九三年九月
スウェーデン、イェーテボリ—— 九四年一二月
ニューヨーク—— 九四年二月
サラエボ—— 一九九四年
セルビア共和国、ベオグラード—— 九三年二月
ボスニア・ヘルツェゴビナ、ノバ・カサバ—— 九五年八月
パリ—— 九四年三月
セルビア共和国、ベオグラード—— 九三年二月一三日
ロンドン—— 一九九九年
クロアチア、ブコバル—— 一九九六年


あとがき

解説——柴 宜弘

訳者あとあがき

原注



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著者

ピーター・ブロック(Peter Brock)
新聞記者として30年以上のキャリアを持ち、「フィラデルフィア・インクワイヤラー」紙、「エル・パソ・ヘラルドポスト」紙などに調査報道記事を執筆、17の賞を受ける。70年代からバルカンを頻繁に取材、90年代のユーゴ内戦に関する報道がいかに偏向していたかをごく初期から指摘、関係者からの非難に抗して発言しつづける。本書の原稿は90年代半ばに完成していたが、2005年に米国で初版が出版された。

訳者

田辺希久子(たなべ・きくこ)
東京教育大学卒業。青山学院大学大学院国際政治経済学研究科修士課程修了。翻訳家。神戸女学院大学准教授。主な訳書に、『サービス・リーダーシップとは何か』『ザ・ビジョン』『1分間自己管理』『ザ・リーダーシップ』(以上ダイヤモンド社)、『人生を複雑にしない100の方法』(ジャパンタイムズ)、『営業が苦手な人のための営業入門』(PHP研究所)、『富をもたらす習慣、失う習慣』(ソフトバンク・パブリッシング)などがある。


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