目次


1年で駅弁売上を5000万アップさせた
パート主婦が明かす奇跡のサービス


[目次] [著者紹介]


表紙




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はじめに


序章 44歳ではじめての就活! 働くって楽しい


・専業主婦→3人の子育て→44歳で初仕事
・パート条件は、「制服貸与・自転車で10分以内」
・生まれてはじめて履歴書と格闘! 書くことが何もない
・初日からパニックになった、機械オンチの私
・私の仕事観をつくったスタッフのひと言


第1章 ふらりと立ち寄るお客様を、たちまちその気にさせる「5秒接客法」


・初対面の相手をその気にさせる「1人称セールストーク」
・なぜ、スタッフが駅弁を試食できる仕組みをつくったのか?
・1700円の「あなご棒寿司」を完売させる方法
・食べたことのない駅弁を、どう売るか?
・「よかったらお茶もいかがですか?」「ビール1本で足りますか?」
・駅弁を開けたときの情景を浮かべた「クロージングトーク」
・お弁当は、渡し方で味が変わる
・笑顔がなかなか出ないスタッフには、こう接する
・「マニュアルなしの接客」で、副店長まで登りつめたスタッフも出現
・接客マニュアルは、たった5か条だけ


第2章 1日10万売上アップ! 主婦感覚を活かした「もったいない」仕入れ法


・なぜ、パートの身分ながら、パンの発注業務をやれたのか?
・「上野に行ったら三浦に気をつけろ伝説」を生んだ、上司への直談判
・1日10万売上アップ! 各店長に仕入れを任せて変わったこと
・データだけで発注すると、なぜ現場の心が見えなくなるのか?
・売上が劇的にアップする! 「三浦式発注ノート」の秘密
・店長のモチベーションを上げる方法
・廃棄弁当を徹底的に減らす仕組みを考えた
・サンドイッチ売上5倍、対前年比140%! 不振店を変えた現場目線


第3章 「ええっ、私が所長? できるわけない!」所長1年目で、いかにして駅弁売上を5000万アップさせたのか?


・「言いっぱなしなんだよね」のひと言で、提案型の発言に
・年間売上を3300万アップさせた2つの方法
・初の社員登用試験は不合格! 悔しさでいっぱいに
・「パートに戻れば」のひと言で一念発起! 52歳で正社員に
・社員になって意識が変わったこと
・私も、評価されず腐りかけていた。でも……
・「三浦を大宮の営業所長にする」——50歳をすぎて訪れた人生の転機
・母が3日前に脳梗塞に! 迷った私の背中を押した妹のひと言
・「私は決めた。三浦さんしかいないんだ」——自信がなくて涙を流した帰り道
・いくら何でも私の限界を超えている!
・3月31日だけで、引継ぎが完了した理由
・所長就任後の3日間は、パニック状態に
・「横のコミュニケーション・ゼロ」の所内に、スタッフ全員が確認できる表をつくる
・高圧的な態度が裏目に出て、一気に孤立
・「バカにされたくない」思いで、「誰にも何も訊けない」状態に
・“血尿状態”から解放された上司の言葉
・子どもの頃から得意の「整理整頓」を突破口に
・みんなに仕事を分け与える大切さを、いかに伝えたのか?
・毎日19時に発注表を「見える化」、ミスが激減!
・なぜ、80時間の超過勤務が16時間になったのか?
・旅に出ると、当人だけでなくまわりのスキルもアップする理由
・「やりなさい」→「できないからお願いします」で起きた意外な効果
・ダメだとわかったら、どんどん朝令暮改
・居酒屋で支社長に「所長なんて辞めてやる!」と啖呵を切る
・スタッフが本音を話してくれるような職場づくり


第4章 「ただのパート」を「カリスマパート」に磨き上げる! ピカイチチームのつくり方


・8店舗のシフトづくりに初挑戦! スタッフの能力を最大限に活かす人材配置
・その日に働く売店が事前にわかる仕組みに変える
・能力の高い人がよく売れる売店に入るシフトに
・一生懸命働く人をあえて「えこひいき」しましょう
・売店には同じ人を固定し、「副店長」をつくる
・「地位が人をつくる」——店長と副店長の意思疎通が売上アップのカギ
・「相手に何をしてもらいたい」ではなく、「相手に何をしてあげられるか」
・弁当を絶対渡してくれない女性販売員が、私にだけまわしてくれた理由
・パンツスタイルに制服を変更し、モチベーション10倍アップ
・「いってらっしゃい、がんばって稼いできてね!」と元気よく送り出そう
・気分よく売店に立つために、どうしても必要なこと


第5章 私はどうして「超激戦区なのに3時間で完売」する駅弁を次々産み出したのか?


・大宮赴任わずか10か月で、“限定駅弁”開発に至った理由
・地方の駅弁業者はだらしないわけじゃない
・「自分たちにも責任があるから一緒に考えましょう」
・社内初! 表示ミスのあった駅弁業者をすべて訪問
・「三浦さんはいい仕事をするね」——感情のこもった報告書で、心をつかむ
・実際に地方の駅弁業者を訪ねて、いちばん印象に残ったこと
・一関に出かけ、包装紙問題に全力でぶつかる
・松川弁当店社長へのドキドキ電話から一転、東北7社の一大プロジェクトに
・幕の内はダメ! 自慢できる素材1品の駅弁を
・用意した210個が、わずか3時間で完売
・思い立ったらすぐ行動! 2つの駅弁を次々開発
・“大宮限定解除”で産まれた、松川弁当「いやんばい」
・「いやんばい」「平泉私の好きな金色(こんじき)うにめし」——絶妙なネーミングを産み出す秘訣
・100人にウケる1種類よりも、「5人にウケる20種類」
・たまたま花見に行った直江津で“限定駅弁”交渉
・料理人と私のこだわりが激しくぶつかり合った!
・なぜ、「愛のご膳」と名づけたのか?
・必ず味見を! とても大事な開発後のメンテナンス
・駅弁開発でいちばん大切なこと


第6章 主婦の経験は必ず生きる! 子育ては「奇跡のサービス業」です


・「高校選び」が人生の転機に
・紳士服販売のバイトでトップクラスになった
・学生結婚→大学中退後、1度も社会に出ないまま専業主婦に
・「パートなんて恥ずかしい」の声が、「三浦さんが1番きちんとした仕事をしているかもしれないね」に変わる瞬間
・専業主婦を一生懸命やってくると、お客様目線になる
・仕事に慣れても、最初の気持ちは忘れない
・「これだけは貯金する」の主婦発想で、会社のコストダウンに成功
・仕事を分担する発想の土台をつくった、三浦式PTA活動
・人材育成は子育てと同じ——スタッフへの声がけで変わったこと
・褒めるだけではダメ! 言うべきことを言わなければ、人は育たない
・スタッフの個性を見極めたコミュニケーション法
・バイトやパートが支える社会の到来
・「ママの初給料1997年5月15日」——初給料の5000円を残している長女への感謝



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著者

三浦 由紀江(みうら・ゆきえ)
1953年埼玉県生まれ。JR東日本グループの株式会社日本レストランエンタプライズ(NRE、旧・日本食堂)弁当営業部・大宮営業所長。21歳で学生結婚し、大学を中退。3人の子育て(長男、長女、次女)に邁進する。
23年間の専業主婦生活を経て、1997年、44歳時にJR上野駅の駅弁販売でパートデビュー。当時の時給は800円。徐々に「カリスマ駅弁販売員」として実績をあげ、1999年に上野駅の売店店長に昇格。1日の売上が100万円を超す上野駅の一番店を任される。その後、パートの身分ながらはじめて上野駅8店舗を束ねる総括店長となり、49歳で契約社員となる。
最初の社員登用試験に落ちるが、2度目の試験で合格。2006年、52歳で正社員となり、53歳時に異例の抜擢で大宮営業所長となる。
就任1年目で駅弁売上を5000万円アップさせ、年商10億円超を達成。自ら地方の駅弁業者に出向いて大宮駅限定のカリスマ駅弁を15種産み出すかたわら、7人の社員と80人のパート・アルバイトを束ね、6店舗を切り盛りするカリスマ営業所長として活躍。
「エチカの鏡」(フジテレビ系)、「スッキリ!!」(日本テレビ系)、「スーパーJチャンネル」(テレビ朝日系)、「NHKニュース おはよう日本」(NHK)など、次々マスコミで取り上げられる。モットーは、「仕事は楽しく!」。接客や商品開発をテーマに講演する機会も多い。本書がはじめての著書。


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