目次


和のちから

史上最大の「下克上」を果たした人心掌握術


[目次] [著者紹介]


表紙




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第1章 一つになること、諦めないこと
 監督就任一年目で頂点に


午前一時からの祝勝会
ロッテ一筋二九年
代理監督わずか一日で「もうやりたくない」
大胆宣言「目標は、優勝です」
監督の「覚悟」を選手たちは見ている
掲げたチームスローガンは「和」
「目立たない監督」と呼ばれて
やっぱり、野球はおもしろい


第2章 史上最大の「下克上」への序曲
 二年連続Bクラス、危機的状況からの船出

 
西岡剛の勇気ある訴え
西岡剛の「黒髪」が与えた好影響
監督室を遠く感じさせてはいけない
日本式で原点回帰
開幕戦に全員で円陣を
格別だった監督初勝利のウイニングボール
「つなぐ意識」で、一九安打すべてがシングルヒット
チーム改革の目玉にルーキーを開幕先発起用
下克上の前触れか、ミラクル一〇者連続安打
選手の失敗に微笑んで
不調なときこそ、どっしり構えていたい
さらなる結束のための、生涯初めての退場
「開幕前の気持ちに戻ろう」
「結びの三番」での確信とカムバック宣言


第3章 人間は一人では弱いものだから
 仲間たちがくれた野球という名の未来


「おちゃかろ」と言われた幼少時代
遠い存在でしかなかったプロ野球選手
チームワークで中学時代は県大会優勝
仲間たちと一緒でなければ
「もう一度、一緒に野球をやろう」
チームメートたちの優しさ、思いやり
「和」のちからの原点
まさかの甲子園出場
大舞台甲子園での痛恨のトンネル
野球によって「国鉄マン」に
無名社会人選手からプロ野球選手へ


第4章 すべてはチームの勝利のために
 ドラフト五位、無名からの出発


具体的な目標が人間を本気にさせる
巨大な壁が成長を促す
褒められることで成功したスイッチヒッター転向
研究、工夫、努力で四年連続盗塁王に
短所を補うのではなく、長所を伸ばしてレギュラー定着
怪我から生まれた首位打者
「七転び八起き」の精神で大胆になれる
「プライド」とは、向上し続けること
個人タイトルも、チーム勝利のための手段
代走という新たな役割


第5章 当たり前のことを当たり前に
 ロッテ一筋二九年、七転び八起き


現役引退、即コーチ就任を告げられて
現役への未練をはるかに凌ぐ、一六年分の感謝
選手はコーチの教えを体現するロボットではない
選手一人ひとりとの「交換ノート」
二軍コーチは「下積み」などではない
一軍コーチと二軍コーチには求められる役割が異なる
歴代の監督が教えてくれたもの
抜糸直後の四安打
プロ野球史上ワースト記録一八連敗から学んだこと
バレンタイン監督から学んだコミュニケーションの重要性
全力疾走とは、最後の最後まで諦めないこと


第6章 断言できる夢は実現する
 記録にも記憶にも残った日本シリーズ


アウェイを気にせず戦えたファンの存在
最終回に同点、延長で勝ち越す、二試合連続の「ミラクル」
辛抱している投手の背中が、野手の心に火を点ける
選手たちを褒めてあげたい
最後まで盛り上がったクライマックスシリーズの価値
日本シリーズ直前の故郷での奇跡
大先輩・落合博満との頂上決戦
「和」が試された日本シリーズ初戦
シンデレラボーイを傷つけない
言葉による自分との約束
取られたら、チーム一丸となってすぐに取り返す
悔しさを次につなげる
史上最長の延長戦で感じた引分けの価値
シリーズ最終戦、すべての選手が主役
育成枠の岡田幸文が決めてくれたことの意味
日本一という高い山の頂点へ


第7章 全員を褒めてあげたい
 「和」の人心掌握術


キャプテンに西岡剛を指名
メジャーリーグという現代の夢
チームを陰で支える選手会長・サブロー
経験豊富な中間管理職・井口資仁
配置転換が成功、新守護神・小林宏之
一四四試合目の苦渋の決断
ベテランへのロングリリーフ転向打診
嬉しかった福浦和也の指名打者でのベストナイン受賞
今岡誠、テスト生入団からの活躍
ベテランが見せた気迫のヘッドスライディング
長所を伸ばせば誰もが戦力になれる
ルーキー欠場時に起用したのは、やはりルーキー・清田育宏
重圧になっていたかもしれない金泰均への言葉
将来の四番打者候補・大松尚逸への期待
原点に戻ってセールスポイントを磨く
ベストシーズンだった「シリーズ男」今江敏晃
大事な場面でカムバックした里崎智也
左右の二枚看板、成瀬善久、渡辺俊介
マリーンズがほんとうに好きだから
世界一のファンのみなさんへ


あとがき 感謝の日本一



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著者

西村徳文(にしむら・のりふみ)
1960年宮崎県生まれ。千葉ロッテマリーンズ監督。宮崎県立福島高校卒業後、国鉄の鹿児島鉄道管理局を経て、82年ドラフト5位でロッテオリオンズに入団。86年から4年連続で盗塁王を獲得。90年に打率.338でパ・リーグ史上初のスイッチヒッターの首位打者に。引退後は、ロッテ一軍外野守備走塁コーチに就任。2010年、監督に就任。同年、レギュラーシーズン最終戦で3位を確保し、クライマックスシリーズでは埼玉西武ライオンズ、福岡ソフトバンクホークスを全試合アウェイで倒し、プロ野球史上初となるリーグ3位からの日本シリーズ出場。日本シリーズでは、中日を4勝2敗1分で退け、チームを5年ぶり4度目の日本一に導く。監督就任1年目の日本一達成は史上9人目。レギュラーシーズン3位から日本一を達成した初の監督に。同年、日韓クラブチャンピオンシップでSKワイバーンズを下しアジア王者に。プロ野球発展の貢献者に贈られる正力松太郎賞受賞。


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