目次


就活時代しなければならない50のこと


[目次] [著者紹介]


表紙




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まえがき
就活は、脱獄計画だ。


「君、損をしてるよ」と教えてくれたライバル。

作文で出た問題は、一生のヒントになる。

面接官が社長だったことが、あとでわかった。

就活中に「一生の予言」をされる。

あまりに偉い人にOB訪問しても、どうすれば通るかは、わからなかった。

面接で聞かれた質問は、一生のヒントになる。

面接には、敗者復活がある。

会社名を、間違えているのを、教えてもらう。

博報堂は、展開が遅かったので、成長するのに間に合った。

まったく行くつもりのない会社にすら落ちる。

だんだん、「コピーライター(要運転免許)」という小さな会社になっていった。

試験日が重なると、ぜいたくに切り捨てていた。

座るなり、面接官に嫌われた。

面接で、シモネタは、通じなかった。

2次面接が、いきなり筆記と役員面接で、驚く。

リクルーティングブックに登録するというしくみすら知らなかった。

情報の窓口は、たった1人の友達だけだった。

ゼミの先生は、僕が就職しないと、思い込んでいた。

演劇科というハンデは、大きかった。

「映画をつくりたいなら、映画会社に行け」と言われる時代だった。

人気業界を目指して、同世代のトップとしのぎを削りあう。

最終合格組が、一番ユニークなメンバーだった。

利用できるものは、何でも利用したほうがいい。

アルバイトの面接に行ったら、役員がずらりと並ぶ面接だった。

年上の人とつきあうことが、いい経験になった。

英・仏・中・日・関西弁の「5カ国語ペラペラ」と、履歴書に書いた。

浪人しているぶん、先に就職している同級生の情報が参考になった。

父親と、「就職するかどうか」という話をすることで、自立が始まる。

母親は、どんな会社か、理解できなかった。

マスコミの一般常識問題は、準備できないくらいの厳しさであることがわかった。

役員面接の前になると、人事部が味方であることが、わかった。

内定が決まっても、1次面接に行っていた。

役員面接で、外国人が出てきて、アセる。

面接の途中で、高校の2年後輩に、出会った。

優の数よりも、優があるということが、大事だった。

映画をたくさん見るスケジューリング能力が、就活のスケジューリングに役立った。

履歴書を毎日書き直すのに、なんの抵抗もなかった。

いろんな会社をまわることで、業界の知識が、毎日増えていった。

あちこち落ちながら、第1志望が変わっていった。

いろんな会社をまわることで、地理を覚えていった。

「全部落ちたら、どうしよう」ということも考えていた。

大きすぎるワイシャツを、まとめ買いしてしまっていた。

敬語で話さないほうが、堂々としていると勘違いしていた。

1年先輩が、すごい先輩に見えた。

大家さんに、嫌われないように、気をつけていた。

社会人の恋人とつきあい始めたことで、「これは、転機だ」と感じた。

面接で出会った人とは、必ず再会する。

就活中のことを、一生、忘れない。


あとがき
就職でお世話になった人には、一生、お返ししたい。



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著者

中谷 彰宏(なかたに・あきひろ)
1959年4月14日、大阪府堺市生まれ。早稲田大学第一文学部演劇科卒。博報堂で8年間CMプランナーの後、株式会社中谷彰宏事務所設立。



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ダイヤモンド社 出版局第3編集部気付 中谷彰宏 行
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中谷彰宏は、盲導犬育成事業に賛同し、この本の印税の一部を㈶日本盲導犬協会に寄付しています。


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