ブックタイトル「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

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概要

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

21 第1 章「殺された被害者の人権はどうなる」 このフレーズには決定的な錯誤がある少し前のことになるが、たまたま手にした月刊誌『WEDGE』に掲載されていた土本の寄稿文『外国人の「犯罪天国」日本』を読んだとき、その論理展開にかなりあきれたことがある。在日外国人の犯罪が急激に増加しているから、厳罰化で対処すべきとの趣旨だった。でも近年の在日外国人の犯罪率は決して増えていない。むしろ減少している。ところが土本は、二〇〇六年の来日外国人犯罪の総検挙数が、(前年と比べたら減少していることには言及しながらも)一〇年前の一九九六年における総検挙数と比較すれば件数は約一・五倍に、そして人員は約一・六倍に増大しているとして、「懸念すべき状況にある」と書いている。だからこそ厳罰化が必要なのだと。この十年に区切るのなら確かに増えている。当たり前だ。来日する外国人の数が、この十年で三割から四割ほど増えているのだから。でもこの数字には土本は言及しない。あまりにアンフェアな論理展開だ(おそらくは気づいていないのだと思うけれど)。土本に限らず厳罰化や管理統制の強化を肯定する多くの識者は、その理由に近年の治安悪化を挙げるけれど、その前提がまずはまったくの錯誤なのだ。治安は悪化などしていない。殺人事件の認知件数は毎年のように戦後最少を更新している。過去との比較だけではなく世界各国との比較においても、日本は現状において世界有数(ほぼトップレベル)で治安が良好な国なのだ。とにかくこの時点において土本は、まさしく(僕にとっては)頑迷な死刑制度存置論者の筆頭だった。その彼が、死刑制度は残虐であると主張する弁護側の証人として証言している。不思議だった。少しだけ混乱した。できることなら真意を訊いてみたいと考えた。そしてその機会は、予想