ブックタイトル「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

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概要

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

23 第1 章「殺された被害者の人権はどうなる」 このフレーズには決定的な錯誤があるもしもそんなドラスティックすぎる変化があるのなら、それはそれでどうかと思う。彼らは揺れる。死刑は本当に正しい選択なのか。被害者遺族の傷を本当に慰撫するのか? 仮に慰撫するにしても、それは人の命を犠牲にすることに価するのか? あるいは人の命を踏みにじった命なのだから、犠牲になって当然なのか?そんな自分たちの揺れる意識を誠実に提示しながら、高校生たちは一時間余りのレポート発表を終えた。ニュアンスとしては死刑制度への懐疑が強い。でも彼らは断言しない。だって知ったばかりなのだ。でも知ることで揺れた。少なくとも見方は変わった。ならばこれからも知り続ける。知らないことは他にもたくさんある。知り続け、そして考え続ける。そうしたニュアンスがとても色濃い結論だった。一列に並んで頭を下げる高校生たちへの拍手が終わりかけたとき、会場に罵声が響いた。「被害者の人権はどうなるんだ!」会場は静まり返った。最前列に座っていた僕は後ろを振り返った。年配の男性だった。険しい表情をしていた。男性はさらに何か言った。かなりの大声であり、かなりの剣幕だった。バカヤロウやフザケルナ的な言葉そのものは発さなかったけれど、バカヤロウやフザケルナ的な雰囲気を男性は濃厚に発していた。僕は視線を男性から壇上に戻す。並びながら高校生たちは硬直していた。涙顔になっている女