ブックタイトル「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

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概要

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

24の子もいた。全員が沈黙したまま、第一部が終わった。加害者の人権への配慮は被害者の人権を損なうのかネットや週刊誌などでも、死刑反対を訴える弁護士や知識人たちへの反論として、「殺された被害者の人権はどうなるんだ?」は、ほぼ常套句のように使われるフレーズだ。僕も何度も言われている。でもこのフレーズの前提には、(治安が悪化しているとの間違ったデータを前提に厳罰化を正当化するロジックと同じように)決定的な錯誤がある。シンポジウムの際に高校生たちは、「被害者の人権を軽視しましょう」などとは発言していない(当たり前だ)。ただし加害者(死刑囚)の人権について、自分たちはもっと考えるべきかもしれないとのニュアンスは確かにあった。そしてこれに対して会場にいた年配の男性は、「殺された被害者の人権はどうなるんだ?」と反発した。つまりこの男性にとって被害者の人権は、加害者の人権と対立する概念なのだ。でもこの二つは、決して対立する権利ではない。どちらかを上げたらどちらかが下がるというものではない。シーソーとは違う。対立などしていない。どちらも上げれば良いだけの話なのだ。加害者の人権への配慮は、被害者の人権を損なうことと同義ではない。大きな事件や災害が起きたとき、この社会は集団化を強く求める。そしてこのときに集団内部で起きる現象の一つが、周囲の環境因子の簡略化や単純化だ。九・一一後のブッシュ政権や同時代の小泉政権を振り返れば、その傾向は明らかだ。正義と悪。敵と味方。郵政民営化是と非。右