ブックタイトル「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

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概要

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

26く「人」を軽視している。二項対立は概念だ。現実とは違う。現実は多面的で多層的で多重的だ。僕の中にも善と悪がある。あなたの中にもある。とても当たり前のこと。でも集団化が加速するとき、二項対立が前提になる。明らかに錯誤だ。多くの人はその矛盾に気づかない。立ち止ってちょっと振り返れば気づくのに、集団で走り始めているから振り返ることもしなくなる。この原稿を送った後に、担当編集者の笠井一暁から送られてきたメールの一部を、今回は最後に貼りつける。被害者や遺族の感情を慰撫するのは、その人たちの気持ちを代弁することではなく、その人たちの感情に寄り添う努力をすることではないでしょうか。辛いと言っている人を見て、「この人は辛いんだぞ! なんでわかってやらないんだ」と叫ぶのはやはり違うと思います。そもそも第三者の気持ちを代弁することなどできないはずです。誰かがしている酷い行いに対して憤りを感じるのは当たり前ですし、それを第三者が「私は許さない」と考えるのも自由です。ですが、あくまでも主語は「私」であるべきで、「被害者の人権はどうなる?」と叫ぶのは違う気がします。うん。僕も違うと思う。でもこの国では今も、その叫びが日々大きくなっている。