エピジェネティクス 操られる遺伝子

エピジェネティクス 操られる遺伝子 page 2/10

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◆ オランダ飢饉の特殊性 世間にはあまり知られていないが、第二次世界大戦の終結を目前にした数ヵ月の間に、オランダで悲惨な出来事が起きた。一九四四年九月、ドイツ軍はヨーロッパの大部分から退却していたが、....

◆ オランダ飢饉の特殊性 世間にはあまり知られていないが、第二次世界大戦の終結を目前にした数ヵ月の間に、オランダで悲惨な出来事が起きた。一九四四年九月、ドイツ軍はヨーロッパの大部分から退却していたが、オランダ北東部の人口密度の高い地域にあった要塞は健在で、落日を目前にしているナチスにとって、戦略上も、象徴としても、重要な拠点となっていた。しかし、連合国軍が南から迫っており、また、連合国軍を支持するオランダ亡命政府によって鉄道が破壊されたため、その砦も危うくなってきた。ドイツ軍はアーネムの戦いで勝利を収め、辛くも連合国軍の侵攻を阻止すると、鉄道を攻撃されたことやレジスタンス運動への報復として、オランダに運び込まれる食料を封鎖した。不幸なことに、その年の冬、オランダは記録的な寒さに見舞われ、運河は凍りつき、船による食料輸送も途絶えた。やがて、連合国軍の猛攻を受けてドイツ軍は退却していったが、その際に残っていた輸送のインフラを破壊し、おまけに堤防を爆破してオランダ西部の農地の大半を水浸しにしたため、食料不足はさらに深刻化した。 一九四四年、一一月末までに、アムステルダムを含むオランダ西部の主要都市では、住民の大半の摂取カロリーが、一日一〇〇〇キロカロリーにまで落ち込んだ。活動的な女性が消費する二三〇〇キロカロリー、同じく男性の二九〇〇キロカロリーには遠く及ばない数値である(注1)。翌年の二月末、オランダ西部の一部の地域では、その値は五八〇キロカロリーにまで低下した。主にパンとジャガイモと10