ブックタイトル史上最大の決断

ページ
7/10

このページは 史上最大の決断 の電子ブックに掲載されている7ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

史上最大の決断

31| 第1章 |ヒ トラーの挑戦とチャーチルの英断ス北部侵攻を期した「黄色作戦(ケース・イエロー)」の発令である。ヒトラーはフランスを敗北させることがイギリスをドイツとの和議に同意させる最善の手段であると考えていた。すぐにドイツ軍装甲部隊が雪崩を打って進み、ルクセンブルク、オランダ、ベルギーの国境を突破した。先のポーランド侵攻、そしてこの西部侵攻で一役有名になったのが電撃戦(ブリッツクリーク)である。電撃戦を現実の戦場で具現した生みの親は、ドイツ陸軍大将ハインツ・グデーリアンだった。*ともあれ、電撃戦とは、戦車を中核とし、装甲輸送車を駆って戦車部隊に随伴した機械化歩兵と、トラックに乗った自動車化歩兵から構成される快速部隊が、敵の防備の弱点を狙って戦線を突破、さらに前進を続けて敵後方に回り込んでしまう戦い方である。その露払いとして、急降下爆撃機や空挺部隊が地上部隊の進路を妨げる火砲やトーチカを潰す働きを行う空陸一体作戦でもある。そうやって、前線の敵の兵士を後方から孤立させ、不安やパニックに陥れ、効果的な反撃や戦力投入を不可能にして敵の組織的な戦力発揮を不可能にさせてしまう作戦だ。グデーリアンはそういう新しい戦闘スタイルを生み出したと同時に、自らも指揮官として部隊を率い、数々の武功を打ち立てた。彼は最新式の装甲指揮車に乗り最先頭部隊に同行すると、無線を駆使して隷下部隊に命令指示を発した。指揮官が敵と交戦するほどの前方に赴くことは、後方に置かれた安全な指揮所から前線部隊を指揮するのが通例だった当時の慣用戦法から大きく外れていた。ところが、旧来のこのやり方は機動力に優れた装甲部隊には通用しな*ブリッツクリーク(Britzkieg)という概念の創始者が誰かについては定まっておらず、リデル=ハート、ヒトラー、新聞に載ったイタリア人の言葉が広まったなど、諸説ある地上の装甲部隊を強力に援護したドイツ空軍の急降下爆撃機ユンカースJu-87「スツーカ」(1940)Imperial War Museum