ブックタイトル史上最大の決断

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概要

史上最大の決断

33| 第1章 |ヒ トラーの挑戦とチャーチルの英断ードの速さと動きの正確さがひどく気に入り、「これは使える。これこそ、私が長い間、望んでいたものだ」と何度も叫んだと言われている。最初のドイツ軍の戦車大隊が編成されたのは翌34年のことだった。その後、数多くの戦車が開発され量産されていった。その乗組員たる戦車隊員も多数養成されていった。採用されたマンシュタインの計画5月10日午前1時頃から、パリ市東部に接するヴァンセンヌ城にあったフランス軍総司令部には、ドイツ軍の動きを伝える報告が続々と入り始めた。侵入が決定的になった午前6時、英仏にオランダやベルギーも加えた連合軍の総司令官モーリス・ガムラン将軍は、勇ましく「ディール計画を実施せよ」という命令を発したものの、結局はドイツ軍の猛攻ハインツ・グデーリアンHeinz Wilhelm Guderian(1888~1954)プロイセン軍人の家に生まれ、陸軍士官学校卒。第1次世界大戦で無線技術を習得し、戦後、通信輸送関連を管轄する部署で自動車や戦車により機械化された戦術を研究する。戦間期にはソ連領内のドイツ軍秘密基地で装甲部隊の運用訓練にも関与。1935年の再軍備宣言で設けられた装甲師団の師団長に抜擢される。無線機を全車両に装備、自らも指揮車に乗り前線で指揮するスタイルを採った。戦車部隊の集中運用と航空支援による「電撃戦」を実践、西部戦線では第19装甲軍団長として、フランス敗戦の原動力となった。のちに装甲兵総監として、消耗した装甲部隊の再建に奔走する。44年7月のヒトラー暗殺未遂事件後に陸軍参謀総長に任じられるものの、作戦に介入しようとするヒトラーとの対立が続き、終戦直前に解任された。リーダーの肖像Bundesarchiv, Bild 183-J24413