ブックタイトル週刊ダイヤモンド18年9月1日号

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週刊ダイヤモンド18年9月1日号

特集日中製造業の40年だ中。トヨタ社内では、市場が立ち上がっていない中国ではなく、米国で現地化を進めることが最優先課題になっていた。 しかし、独フォルクスワーゲン(VW)は、トヨタとは対照的な反応を示した。85年に外資の先頭を切って進出したのだ。ある元商社マンは、「中国では雪中送炭(相手が困窮しているときに救いの手を差し伸べること)が感謝される。中国が車を造りたいと言ったときに手を差し伸べたのはドイツだった」と言う。 その後、VWは中国から特恵待遇を受け続けている。17年には、異例の「3社目の合弁」が認められ、中国企業と共同でEVを開発・生産することが決まった。 結局、トヨタが第一汽車と合弁契約を結んだのは02年で、VWより遅れること17年。そのトヨタが、ついに中国戦略に本腰を入れる。 鉄鋼、家電、自動車──。外資に学ぶことから始めた中国の製造業は目覚しい進歩を遂げた。現在繰り広げられている米中貿易戦争が、通商摩擦を超えてハイテク覇権争いへ突入していること自体が、中国の成長ぶりを証明している。 日本の産業界は、掛け値なしに躍進した中国と向き合うときに来ているのではないだろうか。はしごを外されたのだ。 トヨタの中国での戦況は芳しくない。販売台数129万台という成績は、日系で最初に進出したホンダや、経営危機で出遅れた日産自動車の後塵を拝す。SUVの波に乗れなかった商品戦略、現地合弁会社のマネジメント体制など、その時々のトヨタの戦術に全く問題がなかったとはいえない。 それでも、トヨタ苦戦の最大の原因を進出時のエピソードに求める中国関係者は多い。「トヨタは井戸を掘れなかったからだ──」。雪中送炭を実践した独VWは異例の「3社目の合弁」 1978年に中国が改革開放を掲げてから数年後。外資の力で自動車産業の発展を目指した中国政府は、トヨタに強く現地化を求めた。だが、トヨタは首を縦に振ることはなかった。 服部健治・日中協会理事長は、「中国のサプライヤーのレベルでは、日本から高価な部品を輸出するしかない。そんな高い車を中国で売っても利益が出ないので、第三国へ輸出するプランまで浮上したが断念した」と言う。 当時は、日米貿易摩擦の真った29 週刊ダイヤモンド 2018/09/01"雪中送炭"を実践した独フォルクスワーゲンは、中国で特恵待遇を受け続けている。異例の「3社目の合弁」の認可を受けて、安徽江淮汽車とEVの開発・生産に着手cSipa USA/amanaimages JIJISean Gallup/gettyimagesフォルクスワーゲン1985年生産開始419万台販売台数