ブックタイトル週刊ダイヤモンド18年11月10日号

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概要

週刊ダイヤモンド18年11月10日号

Special Feature 者の幼少期は東芝に囲まれていた。家の裏手に東芝の社員が多く入居する住宅地があり、そこの子供たちと遊んでいたのだ。草野球仲間の過半は東芝社員の息子だった。 あるとき一つ年上の友人が「東芝の野球大会でお父さんがホームランを打った!」と自慢してきた。子供ながらに、野球大会があるとは大きな会社だな、それを家族で応援しに行くとは仲のいい会社だな、とうらやましく思ったことが記憶に残っている。「東芝那須工場」が筆者の地元の栃木県で稼働したのは1979年。筆者はその翌年に生まれた。 近所の東芝社員にはエリート(後に工場長に昇進)もいれば、現場の社員もいたが、子供は親の役職に関係なく仲良くやっていた。 いま思えば、〝一億総中流〟を絵に描いたような近所付き合いだった。子供だった私は遊びほうけていただけだから当然いい時代だったが、東芝那須工場にとっても右肩上がりの時代だった。 東芝那須工場は病院の検査機器を製造していた。東芝は海外メーカーが支配していたCT(コンピューター断層撮影)市場に参入し、蘭フィリップスを追い抜き、世界3強の一角を占めるまでになった。週刊ダイヤモンド 2018/11/10 32Prologueいつの間にか消えていた"総合電機"の夢筆