ブックタイトルシックス 2017 WINTER
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シックス 2017 WINTER
017かもしりませんでした。ただコーチの言う通り、ただただがむしゃらに進むしかなかったので。蓋を開けてみたら、プロって大変なんだって(笑)。ただ、毎日テニスができるってことじゃないんだということに、プロになって初めて気付いたんです(笑)。││ プロになるにあたって、目標をどこに設定していたのですか。 目標だけは、コーチからすごく言われていたので。まず、グランドスラム4 *に出場するには、ランキングが100位くらいに行かないといけないとか。そうするためには、どの大会に出て、どれだけのポイントをとらないといけないということは明確だったのです。でも、数字だけは頭に入ってたんですけど、それがどれだけ大変なことかは、わかってなかったですね。││ それはクリアしていったわてます。シングルスは県予選で負けて全国大会に出れてなくて、ダブルスはベスト4ですね。団体はメンバーに入ってるんですけど、出番のないメンバーでした。メンバーで、メダルもぶら下げてるけど、何もやってない(笑)。そういうポジションでした。そこから、1年の新人戦で優勝して、その後から勝てるようになって、2年生のインターハイはベスト4、3年生で優勝しました。その辺りから、変化が出始めました。││ その時期に何かあったのですか。 必然的に練習量も増えて、ライバルが近くにいるという環境の中でやってたことで、より競争心も強くなり、練習量が増えていき、少しずつ実力がついていったということだと思いますね。││ 伊達さんの代名詞的なライジングショットは、高校時代に既にやっていたのですか。 まだ全然やってなかったです。ライジングショット3 *はプロに入って数年してからです。││ プロになろうと思ったきっかけは何かあったのですか。 高校時代はインターハイでは、県予選負け、ベスト4、優勝という結果だったのですが、インターハイのベスト4に入ると、自動的に、いわゆるプロの人たちが出場する全日本選手権の予選に、協会推薦で出場できるのです。それで2年生の時に、その資格で出場したのです。そしたら、予選から勝ち上がってベスト4に行っちゃったんですよ。3年生の時もベスト4だったんですけども、2年生の全日本選手権を機にプロを考え始め、高校3年の春にはもう決めていましたね。││ 全日本選手権での経験で、プロでもいけると思ったのですか。 自分が大好きなテニスを毎日できる環境を求めた結果ですね。その時は、プロになれば毎日テニスができるという考えでしたね。││ そして卒業されて、プロになられたわけですが、すでにプロのトーナメントの経験もあるので、大体の感じは掴めていましたか。 そんなことは、まったくないです。ツアーがどんなものかということも全然わかってなかったですし。当時のプライベートコーチに、この1?2年以内に、グランドスラムの予選に引っかかる位置に行かなかったら辞めた方がいいって言われてたのですが、それがどういうことを意味しているのINTERVIEW W Gift ITH KIMIKO DATE大好きなテニスが毎日できる環境を求めたテニスクラブ *1京都市北区、北山の麓にある「テニスクラブセブンスリー」。小学校1年生の伊達さんは、ここでそのテニス人生をスタートさせた。30年以上の歴史を持つ現存するクラブで、ジュニア部門もあり、レベルに応じたクラス編成でレッスンを行っている。テニスの強い学校*2伊達さんが初めて学校のテニス部に入ったのが、推薦で入学したテニスの名門校として知られる兵庫県尼崎市の園田学園高校。現在もインターハイの常連校である。伊達さんは、この高校時代に頭角を現し、プロの道へと進んだ。グランドスラム*4全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンという国際テニス連盟が定めた4大大会を指す名称。伊達さんは、全豪オープン、全仏オープン、そしてウィンブルドンのシングルス、ベスト4進出者。ライジングショット*3テニスプレイヤー、伊達公子選手が得意としたショット。相手のボールがバウンド後、最高点に達する前に打ち返すショット。タイミングが難しいが相手の力を利用して打つので、少ない力で外国人選手の力強いショットに対抗できる。時事