ブックタイトルシックス 2017 WINTER

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概要

シックス 2017 WINTER

INTERVIEW W Gift ITH KIMIKO DATE019することで、自分の身体でついていけない部分があるかもしれないという不安があったので、無事にエキシビションをやり終えられたら、という気持ちはありましたね。││復帰した時点で37歳。ファーストキャリアを継続してたら。 ここまでやってきてはいないですね。││迷いはなかったのですか。 いろいろ不安はありました。過去にトップ4まで行った実績で見られることも認識してましたし、そこからのギャップがあることもわかってました。それで「それをやってしまっていいのか」「自分はよくても、それを受け入れてもらえるのか」など、いろいろ考えたのですが、チャレンジすることが好きだし、自分の中でそこに区切りをつけられるという確信を持てるようになったので決断しました。││ 引退時で8位でした。当時はもったいないという声が多かったと思うのですが。 そう言っていただきましたね、当時は(笑)。でも、まあ自分自身の捉え方も、考え方も、一つひとつが、まだ器も小さかったし、イッパイイッパイでしたね、当時は。いまのように世界で活躍する日本人アスリートもいなかったので、すべてが自分にのしかかってくることに耐えることができなかったのです。││ それで、引退されました。その直後はどんな感じでした。 何もやってなかったですね。もう、本当にテニスから離れたかったので。テニスも一切しない。スポーツも一切しない。テニスも見ない。テニス会場にも行かない。││ キッズテニス7 *はもう少し後ですか。 2年位経ってからですね。それまでは、本当にかけ離れた時間でしたね。とにかく普通のことがしたかったのです。旅にも行きたくない。ホテルも泊まりたくない。そういう感じでした。││ それで、2008年に11年半ぶりに復帰されるわけですが、きっかけはエキシビション8 *ですか。 そうですね。それがきっかけになったのですけど、その前にキッズテニスをやって、またテニスとの距離が近くなってきて、テニスに対する考え方というのが、少し離れたことによって変わってきてました。もう一度テニスというスポーツの素晴らしさにも気付かされたし、距離を縮めてもいいかなと思える自分もいたし、それが選手という形になるとは想像しなかったですけども、そうなれたのはエキシビションがきっかけですね。││エキシビションに向けて、結構練習されたのですか。 そうですね、グラフ、ナブラチロワという相手が相手だったので、私だけついていけないというのは失礼かなと思いまして。できるだけの準備はしようと思って、8カ月くらいトレーニングをしてエキシビションに挑みました。そうすると漠然と楽しいな、と。このままもうちょっとやりたいな、と思うようになり。││エキシビションから復帰までの期間は約1カ月と短かったですよね。 以前にエキシビション出場を予定していた時、事前の公式戦でアキレス腱を切り、出場できなかった経験があるので、まずはエキシビションを無事にやり遂げないといけないと思ってました。お客さんが入った緊張感のある中でプレーフェドカップ*51996年4月29日、有明コロシアムにて女子の国別対抗戦フェドカップの1回戦、日本vsドイツのシングルスで伊達さんと世界ランク1位のシュテフィ・グラフが激突。3時間25分フルセットの激闘の末、伊達さんが勝利した。セレシュ*61993年、当時シュテフィ・グラフとNO1を争っていたモニカ・セレシュは、ドイツでの試合中に、グラフの熱狂的ファンである暴漢に背中を刺され、その後遺症により2年半もツアーから遠ざかることになる。キッズテニス*7伊達さんがファーストキャリアを終えた後、98年から始めた「伊達公子とテニスであそぼ カモン!キッズテニス」。主に低学年の子供たちを対象にしたもので、伊達さんがテニスの楽しさを教えている。エキシビション*82008年3月15日、東京・有明コロシアムにてシュテフィ・グラフ、マルチナ・ナブラチロワとともにエキシビション・マッチを行い、ここで伊達さんが2試合ともに勝利を収めた。ツアー復帰のきっかけとなった大会だ。時事時事