ブックタイトルシックス 2017 WINTER
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シックス 2017 WINTER
026ます。自分の道場を持ち、弟子も何百人かいて、その月謝で生計を立てられるまでになりました。でも、もともと心臓に障害があって、身体が弱く、運動が苦手な子どもでした。身体が弱いのに武道家になった。なぜなれたかというと、「僕は身体が弱い」ということを「天賦の才能」だと考えるようにしたからです。 身体が弱いので、生命力を損なうような外部からの入力に耐えることができない。不快なものに対する受忍限度が一般人よりもはるかに低い。厭なことがあると、すぐに死にそうに弱り切ってしまう。だから、「不快なことを避ける」ことが人生の一大重要事となりました。他の人にとっては何でもないことでも、僕には耐えられない。ですから、「気分の悪い人間」であっても、「気分の悪い場所」であっても、「気分の悪い流れ」であっても、人より先に分かる。ここにはいてはいけない、この人と関わってはいけない、それをしてはいけない、ということがわかる。弱いから分かるのです。他の人が我慢できることが僕には我慢できない。だから、他の人が感知しない微かなネガティブな入力にも反応してしまう。反応するての自己形成を果たさなければならない。そして、「ホモ・エコノミクス」に求められる最優先の人間的資質は想像力なんです。何を見ても、「これは私宛ての贈り物ではないか?」と感じることができる想像力です。「眼に映るすべてのことはメッセージ」とかつてユーミンは歌いましたけれど、まさに「眼に映るすべてのこと」が自分宛てのシグナルであり、メッセージであり、贈り物であると「錯認」できる能力こそが人間を「ホモ・エコノミクス」たらしめるものです。 何を見ても、それを超越的な存在からの贈り物と受け取って、「ああ、ありがたい」と感謝することができる人のことを浄土真宗では「妙みょうこう好人に ん」と呼びます。市井の、信仰一途な方たちです。何を見ても「ありがたい」と感じる。日が照ればありがたい、雨が降ってもありがたい、風が吹いてもありがたい。これは阿弥陀如来からの贈与だ、お返しせねばならない。この心根が信仰の最も尊いありようであると鈴木大拙は『日本的霊性』で絶賛しておりました。宗教的感受性の根本にあるのはこの被贈与感です。 英語では、「贈り物」と「才能」は同じ語です(gift)。それは才能というのは天からの贈り物であるから、占有したり、退蔵したりしてはいけないという遂行的なメッセージをすでに言葉そのもののうちに含んでいます。才能を「自分の所有物、自分の財産だから、どう使おうとオレの勝手だ」と思っている人は、長い目で見ると、才能を発揮できないままに終わります。「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」という諺がありますけれど、これはその通りなんです。天賦の才能、天からの贈り物にどれほど恵まれていても、それは「贈り物」なのだから、「お返し」をしないといけないのです。贈与に対して反対給付義務を果たさないと「悪いことが起きる」というのは類的な信憑ですけれど、せっかく才能に恵まれたのに開花せずに終わったというのは、まさにその「悪いこと」なんです。 どんな分野でも、他人がどれほど努力しても到達できないようなレベルに何の努力もなしに達してしまう人がいます。でも、それを自分宛ての「贈り物」だと思って感謝し、「お返し」に何をしたらいいのか考える人はあまり多くありません。とくにその能力が換金性の高いものである場合には、ほとんどいない。 勉強がよくできるという人がいますが、それは実は努力の成果ではありません。何でこんなことにみんなが苦労するのかわからないまま、ほいほいできちゃうんです(そうでない場合は「まったく無意味だと思われる作業にも長時間耐えられる才能」に恵まれているのです)。いずれにせよ、それは天からの贈り物です。だから、「お返し」しなくちゃいけない。それは「世のため人のため」にその才能を用いるということです。自己利益のためだけに使ってはいけない(ちょっとくらいはいいけれど)。 すべての人はそれぞれ固有の仕方で「天才」であるというのが僕の考え方です。身体能力が高いとか、IQが高いとかいうのは、単に「計測しやすい才能」というのに過ぎません。ほとんどの才能は簡単には計測できない。だから、「ない」と思われている。でも、「ある」んです。それを検知して、活用する手立てにいろいろな工夫が要るというだけで、あることはあるんです。 僕は今、武道家を名乗っており弱さもギフトである