ブックタイトルシックス 2018 SPRING

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概要

シックス 2018 SPRING

077新たなエポックをもたらした養殖真珠という奇跡 日本にも、世界に誇れるジュエラーがある。養殖真珠のオリジネーター、ミキモトだ。かつて真珠といえば、それは天然真珠を指していた。オペラ『真珠採り』で歌われているように、オリエントの漁師たちが素潜りで貝を集め、わずかな真珠を採取していたのだ。このため天然真珠はダイヤモンドより高価で、途方もない金額で売り買いされることもあった。 数ある宝石の中で、唯一真珠だけが養殖できうることに気づいたのは、御木本幸吉だ。彼は心血を注いで技術の開発を模索し、1893年(明治26年)、ついに真珠養殖に成功。今年はその125周年にあたっているのだ。 幸吉の優れた点は、揺るぎないビジョンを持っていたこと。彼は真珠の養殖屋になるつもりは毛頭なく、自らの真珠を世界にあまねく行き渡らせるために、トップジュエラーになろうとしていた。 日本は1000年以上もの間、ネックレスやリングといったジュエリーが歴史から消えていた不思議な国だ。そこで幸吉は廃刀令で失業した刀装具職人を集め、西洋の最新技術やデザインを学ばせ、独自のスタイルの確立に注力した。ヨーロッパで養殖真珠をにせものとする排斥キャンペーンが起きると、幸吉は毅然として裁判で争い、養殖真珠と天然真珠が科学的に何ら変わらないことを証明した。もしここで幸吉が屈していたら、真珠は今なお天井知らずの高額品だったかもしれないのである。 御木本幸吉は、明治天皇に拝謁した折に「世界中の女性の首を真珠でしめてごらんにいれます」と奏上したという。今や真珠のネックレスが女性たちにとって普遍的なエレガンスの象徴となっていることを思えば、これは決して大言壮語ではなかったことになる。自らの信じるところをゆるがせにしないこと。幸吉が持っていた明確なビジョンは、今も現代人にさまざまな示唆を与えてくれるのだ。1 1906年(明治39年)頃の御木本真珠店。2マリリン・モンローが新婚旅行の際に手に入れ、生涯大切にしていたミキモトのネックレス。3 1937年(昭和12年)、パリ万国博覧会に出品された帯留「矢車」。4 大きな地球儀を背にした御木本幸吉。5 粗悪な養殖真珠を焚き火にくべて報道陣の前で焼き捨てる幸吉。低品質の真珠はイメージを損ねるとして禁忌した1453世界で初めて真珠養殖を成功させた誇れるジャパンブランドがここにあるPhotos: courtesy of MikimotoMI KI MOTO2