ブックタイトルシックス 2018 SPRING

ページ
86/94

このページは シックス 2018 SPRING の電子ブックに掲載されている86ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

シックス 2018 SPRING

082されたであろう自由な社会の夢が、リアリティをもったということでもある。 この夢は、芸術の世界に顕著にあらわれている。バルザックやフロベールの小説には、貴族や実業家の栄枯盛衰と都市と地方の格差が描かれていて、若く美しい主人公は、野望を抱いてパリを目指し、上流社会に入り込むことに執着する。かれら、かの女らの出世と挫折の冒険物語は、自由の夢がなければ成り立たない。社会のヒエラルキーが一定の敬意をもって維持されながら、そのヒエラルキーを飛び越す自由がなくては、冒険にならない。 絵画にもいえる。それまでは宗教的な主題にしかつかわれなかった大画面に、神々ではなく民衆を描き、画布に生々しいエネルギーの塊のような筆致を残す画家が登場するのは、アカデミズムへの敬意と反逆、あるいは伝統と革新とをともに許容する社会においてだ。 ボルドーワインはそんなときに格付けされた。ヒエラルキーそのものはワインにとって束縛なのかもしれない。あらたなアカデミズというふうに、社会的なポジションに変更がおこらない社会であれば、着る服も、住む家も、食べるものも飲むワインも、生まれたときからだいたい決まっている。それに、蒸気機関に代表される、技術による移動能力の拡大もない時代ならば、そして社会のありかたとしても移動の自由が限られた時代であるならば、モノも人もあまり変化を経験しないから、どこかに高級で高品質なワインがあろうと、そこから遠く離れた地に暮らす人にはないもおなじだ。 現代に生きるぼくらにとって、ワインが格付けされて意味があるのは、運や実力によっては、出自の事情に束縛されることなく、好きな場所で、望んだ生活がおくれる、という可能性があるからで、そこにはワインを造る可能性も、ワインを飲む可能性もふくまれる。 デモクラシーとキャピタリズムが人間にあたえる自由の夢。万国博覧会が1851年にロンドンで、53年にニューヨークで、そして55年にパリで、とつづけざまに開かれたのは、この時代になってようやく、万国といわれてそれをイメージできる世の中、移動と変更の自由がある世の中、あるいは1789年のフランス革命で素描敬意と反逆の伝統ギュスターヴ・クールベ『オルナンの埋葬』。大画面に民衆の葬儀を描いた問題作。ナポレオン三世への反逆的姿勢から、自信作の出展を許されなかったクールベは、美術宮の横にパビリオンを建てて世界初の個展を開催した1855年パリ万博の産業宮。5月16日から11月9日までの会期中、産業宮は約420万人、美術宮は94万人を集客した。28カ国の作品が展示された美術展は、西洋アカデミズムにはない価値観を知らしめ、後の西洋美術に大きな影響を及ぼす自由を考えるときに、ちょうどよいタイミングとなるのかもしれない。この年は、世界で三回目の、フランスでははじめての、万国博覧会がパリで開かれた年だ。そしてこのとき、ボルドーワインは格付けされた。いうまでもないかもしれないけれど、このふたつの出来事には関連がある。ボルドーは歴史的に優れた、そして高級なワインの産地であると同時に、港町、貿易の拠点だ。ゆえに陸路でワインを運ぶよりも、船で運ぶほうが楽という輸送上の事情もあって、ボルドーワインは国外でも名品として、知名度が高かった。これをフランスワインのショーケースとして、フランスのすごいところを自慢するイベントでもある万博の際に、ヒエラルキーを明確にして、国外からやってきた人々に、ワインの名産地たるフランスを誇ろう、という意図がボルドーの格付けにはあったのだ。この格付けは、それなりの妥当性があって、現在までほぼそのまま引き継がれているのだけれど、ワインに格という、優劣をつけることに意味があるのは、自由のあらわれとはいえないだろうか。 というのは、たとえば、大工の子として生まれたら大工になる、cRMN-国立国会図書館デジタルコレクションより Grand Palais/amanaimages