菊池寛賞

 昭和30年、第3回菊池寛賞を受けた。菊池寛賞は文芸春秋社が出す民間の文化勲章ともいうべきものである。表彰を受けた理由は「雑誌経営、並びに編集者として、一貫変わらざる精進」ということである。

 石山の受賞の対象となったものは、著作「アメリカ印象記」であるといわれている。28年アメリカ国務省の招待を受け、米国に行った。その時の旅行記が「アメリカ印象記」である。米国が石山を招待した理由は日米親善に大きな役割を果たしたものと認め、感謝をあらわすためであった。それは石山が戦後取り組んだ著作[会社経営と株主報告 米国及び欧州の実例]菊判400頁を越す大著述だった。戦後、これからは米国経済の影響をうけると独学で勉強した。そのころ、公職追放の身で、大井町の自宅に軟禁同様の謹慎生活をしていた。石山は原書を集め、資料を漁って米国経済を研究した。

 4月25日受賞祝賀会が東京會舘でおこなわれた。このとき集まった財界知名人は500名のほか、政界、言論文化関係も多数参加した。このなかで藤原銀次郎は「今日の石山さんの大成功は第一に勤倹実行の人である。第二は経営の達人である。第三は友人を作ることの名人である。さらに文章が非常にうまい。貸借対照表を扱うことにかけては他社に見られない卓抜さを示している。しかも石山さんはこれをアメリカにまで求めて、わざわざ現地に行ってアメリカの大会社の研究をして参ったのだ。そして日本の会社と比較して、その啓発に寄与したのであります。日本の産業界にどれだけ貢献したか、今度の菊池寛賞は当然であります」と祝賀している。

 また芦田均は「石山さんと時々お目にかかっているが、実に行き届いた努力家であることが判りました。朝の3時、4時頃起き出して10時ごろまで原稿をお書きになる。その量は、半年間で三万行に及ぶそうです。これほど多く書く記者は、日本には殆どいない。私がとくに感じておるのは、ダイヤモンドという雑誌が、石山さんの思想、風格をそのまま現しているということであります。日本言論界の異彩でありまして、シカゴトリビューンのマッコーミック氏をほうふつさせるものがあります。」と賛辞している。