マヌケのすすめ

マヌケのすすめ
書籍情報
- 萩本欽一 著
 - 定価:1430円(本体1300円+税10%)
 - 発行年月:2020年01月
 - 判型/造本:46並
 - 頁数:208
 - ISBN:9784478107157
 
内容紹介
マヌケであればあるほど運がたまる 欽ちゃんの人生論
味わい深い欽ちゃんの言葉にあふれた本。
人間関係や仕事に悩んでいる人には、きっとじわっとあったかく伝わる本です。
目次・著者紹介詳細を見る▼
目次
まえがき マヌケは天から授かった才能である。胸を張ってどんどん伸ばそう!
序章 「マヌケ」と「バカ」は違うんです!
 ◉みんな「マヌケ」の使い方を間違っている。「バカ」と同じ意味で使うのはとんでもない!
 ◉「バカ」と言われたら「すいません」だけど、「マヌケ」のときは違う反応をしたいよね
 ◉損をさせられたら「バカ」と責めていいけど、得しなかっただけのときは「マヌケ」がいい
 ◉心の中で「俺ってマヌケだなあ」はいいけど、「自分はマヌケだ」と強調するのはよくない
 ◉「バカ」を「マヌケ」に言い換えるだけで、会社も家庭もたちまち平和になると思うよ
 ◉子どもを叱るときに「バカ」じゃなく「マヌケ」を使えば、子も親も救われる
 ◉テレビでどうしても「バカ」を使うときに、どういう気持ちでどんな工夫をしてきたか
 ◉「マヌケ」の偉大さを世の中に広めたい。どんどん使って使われてニッコリ笑おう
 
 
第1章 なぜ、今「マヌケ」であることが大切か
 ◉「バカにされる」ことを怖がり過ぎている。先回りして「マヌケ」になってしまえばいい
 ◉級長だった小学生時代は学校がつらかったけど、競争しない「マヌケ」になったら楽しくなった
 ◉最初から「マヌケ」な社員を目指してしまえば、仕事や会社のことで深刻に悩まなくても済む
 ◉会社の中で「マヌケ」として生きていけたら、自分も幸せだし周囲も幸せにすることができる
 ◉学校生活でも「自分はマヌケです!」と宣言してしまえば自分もまわりも楽になるかも
 ◉みんながもう少しずつ「マヌケ」になることで、上司と部下も夫婦や親子の関係もうまくいく
 ◉自分以外の「マヌケ」を微笑みながら許して、どうやって有効活用するかを考えないとね
 ◉悩んだり脳を使ったりするのは「いいこと」と思われてるけど、じつは「凶」を招く行為かも
 ◉すぐに目を吊り上げて誰かをバッシングする。そんな風潮はぜんぜん「マヌケ」じゃない
 ◉日本も自分もどんどん高齢化が進んでいる。手抜きをせずに「マヌケ」であり続けたい
 
 
第2章 「マヌケ」なほうが幸せな人生を送れる
 ◉「マヌケ」はラッキーを無駄にしがちだけど、もっと大きなラッキーがやってくる……かも
 ◉「マヌケ」なほうが学生生活は楽しめる。「マヌケ」になれば途中で辞めずに済む
 ◉「攻めのマヌケ」を繰り出すことで、命がけで講義に通う事態を避けられた
 ◉女性も男性も「マヌケ」な相手を選べば、間違いなく幸せな結婚生活が送れます
 ◉結婚生活で相手に腹が立ったときは、全部言わない「マヌケな言葉」を繰り出そう
 ◉マヌケの子はマヌケ。親が「マヌケ」なら、子どももいい具合に「マヌケ」に育っていく
 ◉三色パンと半チャンラーメンを考えた人には、「マヌケのノーベル賞」を差し上げたいね
 ◉お笑いやバラエティがずっと栄えているのは、得するのが苦手な「マヌケ」揃いだったから
 ◉「マヌケ」はご先祖様からの贈りもの。欠点があればあるほど運がたまっていく
 ◉才能なんて無理に引き出すものじゃない。本当に伸ばしたいのは「マヌケ」パワー
 
 
第3章 ぼくは「マヌケ」だから生き残ってこられた
 ◉浅草での修業時代を振り返ってみると、まさに「マヌケは身を助く」だった
 ◉クビになりそうなピンチを乗り越えて続けられたのも、「マヌケ」だったから
 ◉大宮デン助さんの弟子になるつもりが、「マヌケ」だったから違う道に進んだ
 ◉自分はどういう「マヌケ」なのかを考えたら気が楽になって、やることが見えてきた
 ◉ほかの人の芝居を見て「下手だな」ってなかなか思えないところが「マヌケ」の特技
 ◉ぼくも二郎さんも「マヌケ」だったから、コント55号というコンビが生まれた
 ◉「コント55号」をやることになったとき、ふたつのちょっと「マヌケ」な規則を決めた
 ◉二郎さんは「マヌケ」なフリをしながら、コント55号をプロデュースしてくれた
 ◉二郎さんと久々に行ったふたりでの食事も「最後の舞台」も「マヌケ」な展開だった
 ◉『欽どこ』は視聴率4%ぐらいでスタート。「マヌケ」な大物ごっこでピンチを乗り切った
 
 
第4章 素晴らしい「マヌケ」たちに出会ってきた
 ◉欽ちゃんファミリーは押しも押されもせぬ、どこに出しても恥ずかしい「マヌケ」集団
 ◉「大将には聞いちゃダメ」だったのに、たったひとり田中美佐子だけ聞きにきた
 ◉斎藤清六は類まれなる天才的な「マヌケ」。「ここに清六がいたら」って何度も思った
 ◉清六に舞台への出演を頼んだら断られた。「マヌケ」らしくないなと思ったら……
 ◉『欽どこ』のお母さん役を真屋順子さんに決めたのは写真が「マヌケ」だったから
 ◉見栄晴もかなりの「マヌケ」だったけど、数学の先生の「マヌケ」な採点に感動した
 ◉『欽どこ』でAPをやってたヒノちゃんはかなりの「マヌケ」だったけど憎めなかった
 ◉ヒノちゃんは「マヌケ」なだけじゃなくて、観覧のお客さんを丁寧におもてなししてた
 ◉スペインで会った日本人の不動産屋さんは「マヌケ」だったから現地で大成功した
 ◉不動産屋さんなのに「いい物件ないの?」って聞いても「マヌケ」な紹介しかしてこない
 
 
第5章 「マヌケ」に生きていくために必要なコツ
 ◉「マヌケ」として生きていこうと思ったら「勉強」より「修行」をしなきゃいけない
 ◉自分で自分を「ダメ」と認めてしまったら、どんどん「ダメなマヌケ」になっていく
 ◉「いいマヌケ」になるには悩んではいけない。余計なことを考えないで、とにかく走り出す
 ◉ちょっとおだてられるとたちまち木に登るのは「いいマヌケ」になる上でとっても大切な習性
 ◉映画ではチャップリンにとうてい勝てっこない。だからぼくはテレビをとことんやることにした
 ◉「マヌケ」はじっくり反省してはいけない。まして人のせいにするなんてもってのほか
 ◉損すれば損するほど、あとで得が返ってくる。コント55号のときは、売れても貧乏だった
 ◉「お金をもらえるから働く」というのはよくない。「働いたからお金をもらう」が「マヌケ」の正解
 ◉いつも頑張り続ければいいってもんじゃない。「マヌケ」は頑張りどころを見つけるのが大事
 ◉「茨城ゴールデンゴールズ」を作ったのは、茨城県の「マヌケ」っぷりが気に入ったから
 
 
第6章 「マヌケ」であればあるほど運がたまる
 ◉ぼくは運だけで「視聴率100%男」になれた。ずっと「マヌケ」だったから運がたまった
 ◉パジャマ党は何も教えないまま塩漬けにして運がたまった頃かなと思ってラジオをやらせた
 ◉売れっ子になった元パジャマ党の何人かは今でも稼ぎの1割をぼくに入れてくれている
 ◉パジャマ党でひと際「マヌケ」だった詩村は「マヌケ」だったから道を踏み外さなかった
 ◉『スター誕生!』で司会に初挑戦したんだけどとんでもなく「マヌケ」な司会っぷりだった
 ◉二郎さんと「コント55号」を結成したのも、ぼくがテレビで「マヌケ」な失敗をしたから
 ◉「マヌケ」な新入社員で叱られてばかりいた女の子からお礼の手紙をもらったことがある
 ◉ぼくは「マヌケ」な馬主をやってるんだけど、それは馬に運を教えてもらってるんだよね
 ◉運を遠ざけるのは簡単。「マヌケ」を隠して言い訳や愚痴や悪口を言い続けていればいい
 ◉ウチの夫婦関係は一貫して「マヌケ」だった。だからこそ“幸せな家庭”を築けた気がする
 
 
第7章 「マヌケ」をもっと楽しみ、もっと伸ばす
 ◉「間」には4種類ある。使い方を間違えるとそれこそ念入りな「マヌケ」になってしまう
 ◉ひと味違う「マヌケ」になることを目指して、間を上手に使うテクニックを伝授いたします
 ◉自分の「マヌケ」は頑張って直さなくていい。どんどん伸ばして、どんどん楽しんでしまおう
 ◉「マヌケ」はけっして人並みを目指すべからず。「愚者一得」という言葉を胸に生きていくべし
 ◉「マヌケ」も悪くないなと思わせてくれる素敵な四文字熟語をたくさん覚えておこう
 ◉「マヌケ」であることにガッカリする必要はない。まず満足することでせっかくの持ち味を生かせる
 ◉「マヌケ」ならではのよさを認めてくれる人、ホメてくれる人と出会うことで人生が変わる
 ◉さっさと反省するのが「マヌケ」のいいところ。ぼくは近ごろ何でもメモをつけることにしている
 ◉木下藤吉郎が草履を温めた話は誰が広めたのか。その真相を「マヌケ」に推理してみたことがある
 ◉秀吉が門番を利用して広めたんじゃないかと、ぼくはひそかに「マヌケ」に推理しています
 
 
第8章 「マヌケ」だったけど楽しかった学生生活
 ◉4年間の大学生活は楽しくて充実していたけど自分らしい「マヌケ」な締めくくり方だった
 ◉何とも「マヌケ」なやり方で申し訳ないけど、この場を借りてクロにぼくの気持ちを伝えます
 ◉大学で「卒業」という言葉を使わなかったから人生を締めくくる場面で「マヌケ」に使いたい
 ◉「マヌケ」な年齢や立場で大学に入学したら学長が「みんなを裏切ろう」と言ってくれた
 ◉先生たちが粋な「マヌケ」をやってくれて大学というところがどんどん好きになった
 ◉大学生活という最高に楽しい趣味は満喫できた。これからも「マヌケ」に突き進んでいきますよ
 
 
あとがき 「ああ、自分はマヌケでよかった」とニッコリ笑ってほしい
著者
 萩本欽一(はぎもと・きんいち)
 1941年、東京・下谷生まれ。高校卒業後にマヌケないきさつで浅草の東洋劇場に入る。生来のマヌケさから3ヵ月でクビになりかけるが、マヌケさが幸いして命拾い。66年に坂上二郎とコンビ「コント55号」を結成。マヌケパワーが花開いて時代の寵児となる。
 80年代には「欽ちゃんのどこまでやるの!」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんの週刊欽曜日」など、手がけたテレビ番組が軒並み高視聴率を叩き出し「視聴率100%男」と呼ばれた。マヌケの底力を世に知らしめるとともに、自分でもビックリする。
 85年、マヌケなタイミングで休養宣言。その後も、長野オリンピック閉会式総合司会、「24時間テレビ」「欽ちゃん&香取慎吾の全日本仮装大賞」などで活躍。
 2015年4月に駒澤大学仏教学部に入学。4年間にわたって楽しく実り多いマヌケな学生生活を過ごし、19年春に自主退学。現在は「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」(NHK BSプレミアム)などで、また新たなお笑いを生み出している。
 誰よりも「マヌケ」に助けられたものとして、その真価や真意がいまひとつ理解されていないことに、歯がゆさを覚え続けてきた。「マヌケ」の素晴らしさと活用法を広めることで多くの人々を救いたい ──。この本は、いわば「マヌケ100%男」の人生の集大成である。
 
電子書籍は下記のサイトでご購入いただけます。
(デジタル版では、プリント版と内容が一部異なる場合があります。また、著作権等の問題で一部ページが掲載されない場合があることを、あらかじめご了承ください。)
